日常

日記

夕方仕事帰りに買い物に行く、別に少しの酒のあてを探してたわけではないが、何故か少し家から離れた場所に行く、見覚えのある、車のナンバー。

いる、出来れば会いたくない、厳密に言うと会ってはならない。全て崩れ落ちるとかそんな大それたものではないが、何かこうやって心が揺さぶれるのが少し嫌だ。話しかけないで欲しいのに話しかけてくる、嫌じゃないけど、どんな顔していいかもわからず、なんなら話しかけられないように気配を消してるのに見透かされる、いつみてもいい女だなって思ってしまう風貌、そんな奴を見て今自分が何をしてるんだと、考えさせられる。適当に全然好みじゃない適当な女になんとかしてやろうとかまたクソみたいなことを考えていたであろう自分が本当にクソだと思い知らされる。アホな事はやめよう。

なんと言うか、今まで関係してきた人たちにとても失礼な気がして、前にもこんなことを思って負けた。もう同じ事を繰り返さない。決めたわけじゃないけど、なんか違うような事を気付いてしまっている。

全然連絡とかも取ってないし、全然会ってもなくて、全然もうどうでもよくなってるのに、なんでこうゆうときに現れて、心を揺さぶってくる。

いつまでも、あげた物を車に付けてるんじゃないよ。そんなの見たらどう思うかとか全部知ってるくせに。早く捨てればいいのに。

あほみたいだな。まっすぐ前だけなんて当分無理な話。

今日の君らの動向

疲れていると思うときは大体そんなに疲れてなかったりする、が、今日はきっと疲れていると思う。

体力的にも、だが、もうそれだけじゃないような。明日の事別に直近の明日だけじゃなくてもいいや、明日以降、だけど響きが悪いから明日にする、明日の事を考えてるやつに人間としての魅力をかんじない。今日の、別に今日だけじゃない、今現在。自分がいま、存在している事大きな意味での今、だけど、響きが悪いから今日。今日の事だけ、考える人になりたい。というか、そんなやついないかもしれないけど、そんなやつの方がいい。明日の事は何もわからない。何を勘違いしてるのか、何がお前に分かるんだ、明日の事なんてのは明日にならなきゃわからない、なのに明日の事を考えて、大切な今日を見失ってるじゃん、ばかみたい、今日を疎かにしてるやつに明日はない、だから、今日が大事なんだ、って

昨晩、不意に2択を迫られた、寝るか起きてるか、

後者を選択し、コンビニまで歩く、家の近くにコンビニがあることは便利でしかない。コーヒーとカロリーが少なめの夜食を買う。もうすでに金なんて底をついているのにコンビニがあると裏腹に金がなくなっていく、来月もすぐになくなる、その次も、また稼げばなんてのは夢物語、日々を生きてくのが辛くなるだけ、何かに我慢するのはすごく嫌だ、それ故に、金の消費は激しい、こんな奴が家を買えるのかと疑問にもなる、そして夜が明ける、またこうやって1日を無駄に過ごす、昼間はずっと寝てまた夕方に起きて、飯を食って寝る。そしたらまた、めんどくさい1週間が始まる、それが終われば3連休、連休後は土曜出勤、であれば3連休なんてのは全くいらない、様々な人が様々な形で朝を迎えるが私ほど無駄な朝を迎えてるものはないような気がしてならん。昨日寝ておけばよかった。淡い期待に胸を踊らされ、ただただ、踊らされてるだけだったに違いない何てことに気づくのは後の祭り。もう1本タバコを吸ってから寝ようかと思っていてもまた1本また1本と、足元には吸い殻が増える、もうやめよう。淡い期待は淡いだけなんだと胸に刻み明日をしのいで行こうと思っていても思い通りには行かない。要するに悪循環だ。

身柄

とても身勝手な事を言うと、いざ仕事が終わり地元に帰るとなると、少しだけ、寂しい気持ちになる、別に思い入れもなく、土地勘もなく、ただ1週間かそこらしかいないのに、どうゆうわけだかちょっとだけ寂しくなる。

来た時は宿がすごく嫌で、風呂トイレ共同、冷蔵庫も共同、シャワーの圧が弱すぎる、何も良い事ないけど、いや、宿に関しては何も思い入れも、寂しくも感じない。あの宿を思うと 早く家に帰りたくなる、きっと後ろ髪引かれる思いはさおりちゃんだろう、あげまん学園のさおり、いい女だったな、もう2度と会う事ないんだろうな、ちょっと中に出しちゃったし、土産買って帰ろう。

ダメだとわかっている事でも、してしまうのはやはり人の性なのか、人類創生の神話も確か禁断の果実だったように、きっとダメなことをしてしまうのが人で、そうゆうものなのだと勝手に良いように解釈したくなる。できれば、自分が道を外した時、誰かがすぐに正してくれれば間違いなんてことは起きなくて、道を外した時、そこから新たに道を作って歩いてしまうのが問題な気がしてる、正してくれもしないくせに文句ばかり言うなと、チクチクと文句を言う奴が嫌いだ、だが、そこまでを他人に求めるのはお門違いなのか、

断る手段に黙ると言うのは1番フェアじゃない、断るなら断るとか、別に適当な理由でもつけて断れば良い、それが、優しさだったりする、適当な言葉を並べられてるのと、何も返答がないとでは同じ事でも、全く違う捉え方をされる、正直めんどくさい。

いつもそうなんだが、サライを聞くと夏の終わりを感じてしまう、暑くて、でも、楽しかった夏の日も最後は感動で締めくくる、年をとると夏の楽しみ方もかわって来て、女から酒、肉、祭りへと変わってきた。

根本を唱えるともうすでに若くないのだ、男は30からと言う20代前半の女もいたが、そんなものはごく一部で、ほとんどの男はそんな事を求める事もなく、日々の生活に追われていく、求めると離れて、求めてないと寄ってくるそうゆう事を言われているように、何かに打ち込む姿はそんなに惹かれるものだろうか、そこそこのおやじがただただ、夕暮れのビールを目掛けて汗をかき、頭を下げてるだけなのに、そんなにそれが良いものなのかと、

ただ言っておきたいのが、若い女もそれはそれとして嗜好には申し分ないが、私個人としては、年を重ねた女の柔らかさは病みつきになる。私は若い女の戯言や、気持ちの部分での抱擁力などたかが飯事の様でしかないと思ってしまい、それ以上入ってこない、そんなぼんやりしていて尚、くすぐったくなるようなものを求めるより、柔らかな、そしてひんやりとした肉体が欲しい、包み込むのは心ではなく体で良いのだと私は思う。そもそもが、求めてる事が違うから、折り合わないということだ、別に愛して欲しいわけでもなく、たまに好きであったり、ちょっと好きぐらいが良い、私自身もそうだ、愛することはない、好きにもならない、ちょっとだけ好きにしかならない、もしかしたら別にもう、好きとかそんなものはない、私だけの利害が一致していればそれで良いような気がする、偏ってはいると思うが、これが世の大半の男の理想で、あって欲しい。

明るいとこに虫が集ってるのをよく目にする、人も同じなのか明るいとこには人が集まる気がする、暗いところにはあまり人は集まらないけど、虫はそこそこ集ってる気がする、

もし仮に光を自由に使えるとしたら、人を集めるには光を放てば良いのかと思ってたけど、実際に光が強いとこは眩しすぎて近寄れない、

光ってる奴がいけ好かないのもそうゆう事だろうか、逆に闇のように暗さを持ってる奴はどこか惹かれていってしまう。

使い方は人それぞれだとは思うけど出来れば光を持ってる奴は、闇を抱えた奴を照らしてあげて欲しい、闇を持ってる奴は光を持った奴の照度を調節してやって欲しい、