日常

日記

無理しない

無口なわけじゃなくて、黙っている事が好きなだけ、喋ってる事が嫌いなわけじゃなくて、喋る事が必要とされてない時かそうじゃない時がわかるだけ、たまに大きい声を出したくなる時があるけど、べつに誰かに聞いて欲しいわけじゃない、何かにこだわってるつもりはないのに、気付くとまわりの人を置いてきぼりにしてしまう、みんなに気にかけて貰いたいわけじゃないのに、誰よりもまわりに気を使ってしまう、楽しい事は共有したい、でも、本当に楽しい事は自分の中にしまいっぱなし、こうゆう事を考え始めては考え始めた事自体を後悔する、終わりがない事は嫌いで終わる事を常に望んでいる。

自分を少し大きく見せたり、平気なフリをしたり、相手に自分を見透かされないように、何考えているかわからないと言われたら勝ち、自分の事を理解してくれなんて烏滸がましい事は口が裂けても言えないが、理解するのが当たり前、相手が求める答えがわかったら嘘をついてでも、答えにたどり着かせてあげる、頭の悪そうなふりをするのが1番大変で、人が変われば価値観も変わって、その人の頭の悪い奴になりきる、信用されなくても、信用したとしても、そんな事は重要じゃない、大事な事はその人の中のイメージ通りの人間になりきり、どこかで1つ隙を見せる、相手がどんな事考えていようが、自分の事さえちゃんとコントロールできれば、自然に相手もついてくる、

簿

また始まる、これからまた12時間退屈な時間が始まった、心配されてた台風も順調に近づいて来て、きっとそれがどっかいったら今度はもう秋なんだなっと、半月に渡り地元を離れわけのわからん土地で過ごす、夜が明けるのと、陽が沈むのをただ黙って待つだけ、待った先には何もなくて、それでも、ただ待つしかなくて、帰ったらあれやろう、これやろうと考えて帰るはずなのにいざ帰ったら何もしない時間が心地よくて、考えてた事なんて後回しで、結局夜明けと夕暮れを待っている、どこにいても同じ、誰かがいないと何もできないなんて嘘。

時間がないなんて事もないけど、とりあえず忙しいと言っておこうか、ついた嘘の数だけ自分を保つことができるのなら、本当の事なんて何もいらないじゃんか、

明ける

夏は陽が長いって昔から変わらないけど、それは夏を夏らしく過ごす人にはうってつけなんだろうと思うけど、夜勤の人にはそうでなかったりする、実際に今も明るいけど、まだ交代なわけじゃないし、逆に明るくなったけどいつまで続くの?って気持ちになる。それが仮に交代を迎えたとしても、明るくなってからの方が断然疲れが増すような気がする、今日が終わればまた明日、その次と仕事は待ってくれない、少しは言う事聞いてくれてもいいんじゃないかって思うけど、そういうわけにはいかないらしい。今日も終わればまた携帯片手に呼んでしまうんじゃないかと心配になる、きっと今日呼んでしまったら昨日より後悔するんじゃないかって思ってる自分と、昨日の今日で呼んだらまたネタになるなんて思ってる自分がいる。

ガム

スルメをさっきからずっと食ってるんだか、

スルメなんで噛んでると味がして、でもそれを超えると細くなって気付くと飲み込んでしまっている、また手にとって口に入れるを繰り返してたら、いっその事スルメ味のガムねぇかなって考えてて、考えて味想像してたらやっぱりガムにはスルメ味はない方がいいなって思った、スルメのこの何ていうか癖のある味はなくなるから心地よくておいしいのであって、これが口の中にとどまり結構な時間口の中がスルメだったらきっとちょっと嫌な気持ちになるんだと思う。

何でも一緒にするんじゃなくて個々のそれぞれの良さってあるから、そうゆうのがわかる人間に少しはなれたのかなって、

でも同時にガム味のスルメの味を想像してしまうであった。

死ぬ前に思う事

一時、もしかしたらもう死んでしまうのかと思う時がある、体調が悪いとか、そうゆうのじゃなくて、すごく気持ちが満たされて、自分の中で達成感がある時余計に思う、多くの人達に支えられて今こうして生きてるけど、その人達と、改めて時間を共に過ごす時、抱えてる問題とか全部忘れて時間を楽しむ事ができる、よく、人は死ぬ前に色んな人に会うって聞いて、今まで世話になった人とか、旧知の仲とかそうゆう人にありがとう、わすれないでの無言で無意識のメッセージなんじゃないかと思う。もし仮に自分が死んだ時きっと言い切れないほどのありがとうが言い切れないままになってしまうだろう、だから生きてるうちに次いつ会えるか分からないからその時その時を大事に、そして感謝の意味を込めてありがとうって言わなきゃなんだなって、柄にもなく思ってしまいました。